アフリカ北部の国境線 先日アリジェリアで、多国籍のテロリストによる多国籍石油プラント施設が襲撃される人質事件が発生し、いろいろなの国の従業員から犠牲者が出ました。その中で日本人犠牲者数が一番多くでました。
 そもそも私たち日本人には馴染みの低い地域であり、なぜそのようなことが起きたのか、背景はどうなっているのか、アルジェリアの周りの国々との関係はどうなっているのか?わからないことばかりです。しかし現時点では、広がる多国籍テロの脅威については、私たちは今後の報道で、新しい知識を得るしかないでしょう。
 そこで、このアフリカ北部の国境線のことはご存知ですか?
 地図上でご覧になれば国境線がまっすぐで、まるで定規で仕切ったような形になっていることをご存知だと思います。
 それがどうしてだかご存知ですか?
 それは、アフリカの国境線は1884年のベルリン会議で決まったもので、当時、ドイツのビスマルク宰相が周辺諸国に働きかけ、アフリカにおける植民地分割を決定しました。欧州の支配国はこの会議で、アフリカで暮らしていた部族やその文化をまったく考慮せず、経線・緯線に沿って国を分け合ったため、今日の地図に見られるような直線的な国境線となったわけです。
P1160476_3 その結果、どのような問題があるでしょうか?
 それは、昔から農民が市場に通ったり、遊牧民が牧草地を求めて季節ごとに移動したりします。それなのに、同じ言葉が話されてきた地域を分断して国境線が引かれたため、植民地から独立しても、同じ言語や文化を持つ人々が複数の国に分割され、異なった民族が同じ国に属するようになってしまいました。
 まずこのように、いろいろな問題を抱えたままの地域であるということを知ることが、今回の事件の背景が、どのようなことなのかと、私たちが理解していけるスタートラインだと思います。

 余談ですが、Darwin Roomでは、アフリカ各地の民族が作った仮面や生活道具、人形などの民芸品を揃えています。それが、お客様から「この商品はどこの国の物ですか?」と尋ねられた時に困るのです。困る理由は、上述のように国のくくり方では説明できないことが多いのですね。だからほとんどが、これはドゴン族の作った物ですとか、民族のくくりでしかお答えできないのです。