Darwin Room - BLOG 好奇心の森「ダーウィンルーム」公式日記

好奇心の森「ダーウィンルーム DARWIN ROOM」は、教養の再生(LIBERAL ARTS LAB)を理念に、選りすぐりの古書と動物剥製などの 標本や、研究生活に便利な道具の販売と、専門家を招いたリベラルアーツ・カフェを行うユニークな1階がショップ、2階がラボです。

カテゴリ: 変化への視点

 久しぶりに書きます。

 湯川さんと後藤さんのご冥福をお祈り申し上げます。
 残念ながら日本のリーダーの想像力は実に貧しく、少なくとも過去の言動の2点を線で結べば、その延長線がどこに向かっているのか、私たちにも簡単に想像することができます。

 そこで、今回の過激派組織による人質殺人事件で、考えたことを書きます。

 私たちが生きているということがいかに幸運なことかということです。

 生命の起源である細菌(バクテリア)以来、あなたも私も祖先が一度たりとも絶やさず繁殖してきてくれたから、今この時に生きているのです。 
50世代分の祖先の数をご存知ですか?
2を50回掛けるとどうなるか。実に1000兆! です。
私たちの祖先の数は50世代なんてわずかな数じゃありません。私の両親が2人、その両親が4人、その両親が8人、その両親が16人という具合に50回すると1000兆になるわけですから、実際の祖先の数はもっと多い指数級数的な増殖というものです。
 その中の1人の親が欠けただけで、あなたも私も存在していないのです。

 このような幸運な生命を大事にしないといけませんね。 
 この話しはすべて、英国の進化生物学者のリチャード・ドーキンス Richard Dawkins 博士が特別講義(注1)の中で言われたことです。

  宇宙はその誕生から約140億年たっている。つまり、1億4000万世紀です。そして今から6000万世紀たつと、太陽は赤色巨星になって、地球を飲み込んでしまう。
 宇宙が誕生してから1億4000万世紀のあいだ、初めから1世紀づつすべての世紀が、過去に「現世紀」であったことがあるのです。そしてこれから太陽系の終焉まで6000万世紀のあいだ、1世紀づつすべての世紀が「現世紀」となる。「現世紀=100年」というのは、膨大な時間の流れの中の小さな1つのスポットライトに過ぎない。その一瞬のスポットライトの前はすべてが死滅した暗闇であり、そのスポットライトの後はすべてが未知の暗闇です。私たちはこのスポットライトの中で生きている。
 膨大な2億年の時間の流れの中で、たった一つの世紀だけに光が当たっていて、その小さなスポットに、たまたま、まったくの偶然で私たちが生きている。 

 このような事実の前で私たちは、ここに生きているのは驚くほどラッキーなことですね。
 ほかの惑星に生命が存在するのか?という問いにはまだ答えはありません。
いまのところ推測できることは、宇宙のほとんどが不毛の地であり、その世界のほとんどには、いかなる生命体も、その可能性すらまったく存在しないのです。

 まもなく破壊されてしまう地球を脱出し、人類の存続を賭けてどこか別の惑星に植民しようとする地球最後の人たちが、宇宙船いっぱいの、おそらく冷凍されて眠っている。
その宇宙船の中で1億年眠った後に、この宇宙船がついた先が、本当にたまたま私たちのような生命を維持できる、極めてまれな惑星で、気温もよく、酸素もあり、美しい滝が流れ落ち、緑がしげり、山々がそびえ、いろいろな色の動物や鳥などが飛びまわっているのを目撃する。
 1億年眠った後にそんな世界で目を覚ましたら、どんな気持ちがするか想像できますか?
まったく新しい世界、あなたが生き延びることのできる美しい世界。当然ながら、そんなまれな世界に到着できた自分の幸運を喜び、あらゆるものを放心したように見てまわり、目と耳に入ってくる驚きの光景を信じられないことでしょう。

 こんなことは、ほぼ間違いなく私たちには起こらないのですが、見方を変えると、まさにこれと同じことが起こっているとも言えます。
 私たちは何百万年もの長い眠りから目を覚ました。
もちろん宇宙船に乗ってやってきたのではなく、誕生することでこの世に到着したのですが、宇宙船で来ようが、お母さんの産道を通って来ようが、この惑星の素晴らしさ、目もくらむような驚きにはなんら変わりはない。
 私たちがここにこうして存在しているのは、驚くほどの幸運であり、特別の権利でもあるので、けしてこの生命を無駄にはしてはならないのです。

 残念ながら、日本のリーダーはもちろん、他の多くのリーダーたちも、このような想像力は持ち得ていません。もし持っていれば、きっと平和で楽しい暮らしを、大事な生命に与えようと、手をとり協力するように頑張るはずです。 この生命の感動を、平和を希求するはずです。
 なにとぞ、リーダーたちはご自分でよく考えて、想像してほしいと願います。

 亡くなられた後藤さんのことはあまりよく知りません。
 でも流される後藤さんの行ってきたこと、困難に遭遇している子供達に光を与えようと頑張ってこられた姿を見ていると、きっとその子供達の生命の幸運を、大事にしなくてはいけないという想像力の持ち主だったことは間違いありません。

 後藤さんのようなひとを失ったことは、世界にとって、日本にとって、とても残念なことでした。
 ご冥福をお祈り申し上げます。 

 好奇心の森 DARWIN ROOM
 代表:清水 隆夫



(注1)「進化とは何か〜ドーキンス博士の特別講義〜」リチャード・ドーキンス著 吉成真由美訳 2014年12月25日 初版発行 早川書房

少し感動したことを書きます。
「ハンドサイン(HAND SIGN)」という2005年に結成されたパフォーマンス・グループがあります。
な、なんとダンスに手話を取り入れてオリジナルの手話ダンスのパフォーマンスをしているんですよ!
それは、耳の聞こえない人には目で見て分かるメッセージを発信し、誰もが楽しめる音楽、ダンスの楽しさを伝えたいのだそうです。
彼らが2009年大きく飛躍する、ニューヨークのアポロシアター(マイケル・ジャクソンらも潜った音楽の登竜門)アマチュアナイトTop Dogに挑戦をしました。そしてそれに初出場で優勝をしてしまう離れ技をやってしまったのです。その後継続的に入賞し、アポロシアター・アマチュアナイト公認パフォーマーとされているそうです。
日本でもアポロシアターでの実績を、テレビが取上げ、放送されるなど活躍している。
また、小中学校ろう学校などを回り子供たちとダンスと手話を通じて笑顔になろう!と活動を続けている。
手話を取り入れたパフォーマンスは、ろう者のコーディネーターと一緒に制作をして、正確なものにしている。

HAND SIGNまったく無名の5名の若者が始めたパーフォーマンスが、ひょっとすると、ろうあ者と健常者を結ぶ大きなきっかけを、創るかもしれないと私は感動しました。
自分たちのパフォーマンスのアイデンティティーに手話を取り入れた彼らのコンセプトは、珍しくないような気がするのですが、過去そのようなものは全くなく、独創のパーフォーマンスなんですね。

どうしてなのでしょうか?

私たちの活動も、以前行っていたTHE STUDY ROOMの基本理念が「知ること、学ぶこと」ですし、今のDarwin Roomが「教養の再生」です。
どこかハンド・サインと通底していると思います。
おそらく、まじめなのです。何か世の中に貢献したいというまじめさが共通していると思います。

このようなまじめな理念というのは、あんがい珍しいのです。
珍しいから目立つし、まじめだから嫌われないし、表現が楽しければ応援して頂ける。

私たちDarwin Roomは、もっともっとまじめな理念が登場する時代に期待したいと思います。

iPhone中国・北京の大気汚染はひどいですね!
あの遠くの景色が見えない、微細な塵が霧のように景色を閉ざしている様は、息が詰まります。
私は三重県・四日市の生まれで、小学生の頃に有名な大気汚染の四日市公害を経験しているのですが、北京の景色はそれどころではないでしょう。
しかし、北京の景色は見えるからその恐怖は感じられますが、目に見えないから実感しづらい放射能汚染にまみれた日本のことはどうなのかと考えてしまいます。
どうも、私たちは目に見えないものには深く考えないというところがあります。
例えばスマートフォンはどうでしょうか?
私はiPhoneがないと暮らせないほど依存した生活をしています。実に便利で、最近は肉声の電話をすることがめっきり減ってしまいました。考えたことを記録しておくのも、調べごとをするのも、仕事の連絡をするのも、お金の振込も、目覚ましも、電車の乗り換えを調べるのも、訪問先の道順を調べるのも、自分が今どこにいるのかを知るのも、遠く離れて散らばった級友との愚痴談義までも何もかもiPhone1台で出来てしまいます。
果たしてこの便利なインターネット環境に浸かった生活の行く末はどのようなことになるのでしょうか?
近くの妻や子供への伝達もメッセージ・チャットを使ってしまいます。
家族の在り方まで変って行くと思います。
それだけにとどまらないでしょう。学校の学び方、経済活動や都市と地方の在り方、世界との繋がり方まですべて根本的な構造が変化して行くと思われます。 
この目に見えない生活の変化は、環境汚染のような公害と同じように、私たちの精神に影響を与えるのではないでしょうか?まだ始まったばかりの新しい暮らし方のことですが、10年後を予測する仮説を立て、課題対策も必要となって来てると思います。

ダーウィンのスケッチおはようございます。

早い時間に目が覚めましたが、今日は寒い日になりそうです。
(絵はチャールズ・ダーウィンの自筆スケッチ)
日本も2013年は大変な年ですが、Darwin Roomも重要な年です。
そもそもDarwin Roomを設立したのは、社会が閉塞感で覆われていた2010年でした。実は2007年に自ら創業して育てたTHE STUDY ROOMの経営から退き、その後3年かけて新たな構想を温めて来たわけです。

そうした理由は、1995年に創業したTHE STUDY ROOM事業を10年かけて全国に拡げ、国立科学博物館などと業務提携をし、さらに高質な独自の事業に発展させようと、2004年にJR東日本グループと資本提携を行いました。

しかし、それが良くなかった。
新しい独自のアイデアを進めるためには、JRから迎えた役員らと話し合い、取締役会で承認を得ないとできないわけです。
これが難しいわけです。
私たちの発想は前人未到の類いですから、前例主義で凝り固まっている人たちと、どこにも例がないことを決めるということは、とんでもないことでした。

でも信じて必死に挑戦したのですが、どうにもできないことがその3年後、ついにわかりました。
そして、有能で大事な大勢の社員、有形無形の財産をすべて残したまま、20075月末に苦労を共にした相棒と二人で退き、はだかのゼロからやり直そうと決めたわけです。
それがそもそもの理由です。 

そして、これが温めた新たな構想、好奇心の森「ダーウィンルーム」の基本理念です。


教 養 の 再 生
現在の日本社会では、科学的な知識や技術・教育の専門化が進めば進むほど、その専門の境界を越えて動くことのできる、自由で柔軟な精神としての「教養」が必要だと考えます。

「教養」とは英語で「リベラル・アーツ = liberal arts」といいます。学ぶことが、ある実用的な目的とか、それを勉強すると有利になるとかではなく、自分自身がもっと知りたい、もっと深く考えたいという欲求に忠実に学び、その学ぶという行為を通じて自分自身を自由にしていく力、知らずに成り行き的に決められる状況から自分自身を解放していく力、それがリベラル・アーツです。

評論家の故加藤周一氏が、自動車をつくる技術とか、操縦する技術とかと、それでどこへ行くかとはまったく違うことであり、自分がどこへ行くかを自分自身が決めるためには教養が必要であり、さらには、なぜ生きるのかということを決めるのは、政治家や教師や親とか会社ではなく、私たち一人ひとりだと説かれました。

私たちの挑戦は、21世紀の日本社会で、いわゆる平均的な人間が、性別を問わず、いかに自らを自由人として育成できるのかということです。
ショップ名は、自らがビーグル号に乗って探検旅行に出かけ、そこから持ち帰った大量の標本や知見をもとに、その時代の常識にとらわれず自由に理論的考察を展開したチャールズ・ダーウィンの研究スタイルをイメージの象徴として 「Darwin Room 」としました。

私たちは、何のためにどこへ行くのか、そのことにどんな意味があるのか、それを自分で考えられる人間になるための活動を「教養の再生 = liberal arts lab」と位置づけて、これからDarwin Room号に乗って長い航海に出発したいと思います。どうぞご一緒に行きませんか?


Darwin Roomを設立して3年目、改めて基本理念を読んでいただこうと、早朝から書きました。(TS)


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