DRのスタッフから、昨日のブログ「3.11の記憶」の表現が軽くて、不幸にみまわれた方々に失礼だし、DRの方向性に誤解を受けると注文がありました。
失礼と感じられた方があれば、私の本意ではなく申し訳ありません。
私としては清心な言葉より、ありのままの私個人の記憶を書きました。
これが私の3.11です。
ありのままの記憶をお伝えするのがこれからの第一歩だと考えたからです。
なぜなら、昨日の多くのテレビ番組では、わずか2年で私たちの記憶が風化したとさかんに「風化」という言葉が使われていました。
これはおかしいとらえ方だと私は思います。
私は風化ではなく、2年であの忌まわしい記憶の、言わば病の状態から健康な状態に回復して来たのだと思います。
みんなの心の回復をまるで悪いことのように「風化」と定義することは間違いだと思います。
それよりも私たちは心を回復し、良い意味でいずれ忘れてしまうかもしれないという、自分たちが変わるということを、冷静に認識した上で、次の世代に同じ被害がもたらされないようにする仕組みを考案すべきです。
仕組みとは考え方も含めてです。
風化ととらえるのは、自分たちが変わらないはずという天動説みたいなものですから、私は自分たちは変わるということを折り込んだ地動説で考え直すべきだと思います。
変なことを言うようですが想像してみてください。
自分たちは変わってしまうという地動説で考えなければ100年後1000年後まで、悲しみに暮れたその思いだけで、後世に伝えられるはずが無いと思うからです。
体験当事者でないからの考えかもしれません。でも学ぼうと思います。(TS)